西川淳「気分よく、気持ちよく、走れること。」



西川淳
ドライバーにとって、それが一等幸せで、結果的に安全に繋がるかも、を芯において、道路や環境の問題を考えたいと思っていた。中央道・飯田付近の魔のカーブで起きた悲惨な多重衝突死亡事故。あのような悲劇を呼ぶ道路環境の真逆を考えることをテーマにしたいと思う反面、常につきまとう疑問がある。
ドライバーは果たして、性善か、性悪か。
福岡県の飲酒運転による悲惨な「事件」以来、続発する飲酒運転事故や、いわゆる逃げ得の問題などが連日、マスコミ報道を賑わせている。
飲酒運転の厳罰化以降、飲酒に起因する死亡事故は激減したとはいえ、それでも平均すると1日に2人が亡くなっている(もちろん、事故はそれ以上に多い)という現状で、ようやく白日のもとにさらされたかというのが正直な思いだ。
そんな折、一冊の本の、電子版無料公開の知らせがメールで届いた。
題名は、『殺人ドライバー』。同年代の知人である、沼澤章氏が、もう3年ほど前にまとめあげたものだ。死亡事故を起こした加害者の実像に迫ったルポタージュであり、題名同様、ショッキングな内容に満ちている。
沼澤氏の言葉を借りると、交通事故は最早『事故』ではなく『事件』だ、ということになる。
死亡事故を起こす多くのドライバーは過去に何らかの、しかも同種(飲酒なら飲酒という風に)の違反を起こした者が多く(再犯性の高さ)、これを事実上、交通行政が野放しにしてきたという実態。あまつさえ、彼らがクルマを買って乗る自由を再三にわたって与えてしまうという、社会システムの構造、環境。そういった事実を考えれば、事故などではなく殺人と同じく事件である、というのが著者の主張だ。
著者はまた、クルマ依存社会からの解放にまで、考察に及んでいる。クルマを使った日常生活の利便性をこれ以上追及することに、果たしてそれだけの意味があるのだろう?クルマ好きの彼にとって、それはつらい結論ではあった。
欧米との比較や、電子版の最新情報も追加されているので、詳細をぜひご一読願いたい(http://www.y-p-o.net)が、「殺人ドライバー」を読んだ私は、とにかく悩むこととなった。
冒頭のように、ドライバーの視点からしか物事を見れなかった人間にとって、ドライバー性善説は基本の基本。ところが、考えれば考えるほど、そんなのんきなことを言っている場合では、どうやらなさそうだ。
運転不適格者に対する、あらゆる面に渡った厳罰化。罪の納得性強化。それは、もちろん必要であろう。しかし、物事はそう単純な話ではない。厳罰を与えることは事態進行の歯止めにこそなれ、問題解決には至らないのではないか。
そこには凶悪化する未成年者犯罪などと同根の、根本的な病理、今の日本の社会の闇がはびこっている気がしてならないからだ。大東亜戦争後の高度経済成長の最中に、忘れ去られた、何か。
ゆきあたるのは、最小限の社会である家族の問題と、その中でおこわなれるべき教育のあり方だろうか。
もっと知られるべきは人間の心理メカニズムかもしれない。繰り返される飲酒運転という犯罪は、最早、麻薬や快楽殺人と同じではないだろうか。またしても捕まった某有名経済学者のセーラー服趣味と、人間性という観点で変わらぬのではないか。
ふとわが身を振り返る。飲酒とは無縁でも、私は本当に、「殺人ドライバー」ではないと言い切れるだろうか?
いつでもどこでも制限速度を守ってクルマをドライブしているのか?
人をクルマで殺すのに100キロもいらないことを常に考えているか?
根拠のない前提にたって、身勝手にドライブすることはないのか?
スピードが好きではないか?
殺人ドライバーは、常に自分の背中にいるとは言えまいか?
それでも、気持ちよく運転すること、させてもらうことは、必要か?
ファン・トゥ・ドライブは、古い価値観になってしまったのだろうか。
運転し移動する自由を、はたして社会がどこまで許容すればいいのか、してくれるのか。クルマ文化が進んでいるという欧米の、自動車事故による死者数および割合が、日本より圧倒的に多いという事実も、もう一度かみしめてみる必要がありそうだ。
気持ちよく運転すること。そんなのまるで必要ない、となったとき、今の交通社会は、どう変化するのだろう?自動車は、どうなるのだろう?共存ははたして可能か?
ならば、どのような形で?
そして、クルマ好きはどこへいけばいい?

西川淳氏 プロフィール
自動車“趣味が強いゼ”ライター
速いクルマ、速そうなクルマが好きな、単なる市井のクルマ好き代表
環境に優しい最新モデルの性能より、味わい深いクラシックカーの行く末が気になる毎日…
愛車はほとんどマイナス5ツ星






