Mobility Tribune/ITS

START YOUR ENGINES
BACK TO INDEX

西川淳「制限速度 その2」

20070129

この記事をtwitterに投稿

西川淳

そんなもろもろの、建設的な考えや自分なり思い、行為への自己弁護、ご都合主義な共通認識を持ち出して、だから最高速度制限を上げて欲しい、というのもまた、大いなる誤謬だというしかない。

新たに建設される高速道路の制限速度を上げてしかるべきだという正当な理由と同じ数だけ、上げなくてもいいという理由があるはずだ。

つまり、それが、社会ルールの本質である。そう考えると、高速道路が似合わない(必要ないというわけじゃない)日本で、国産車の高速性能がままならぬ時代に、時速100キロを最上限にしたという過去の決断は、先見の明があった、と言うことだってできる。是非ではない。ましてや、高速道路の設計云々の話だけでもない。

放っておくとカオス。それを防ぐために、ある一定の制限をかける。緩い輪もあれば、厳しい輪もある。殺人や窃盗で捕まり厳罰に処されることの罪、罰、社会的制裁と、交通ルールを破ったものとではもちろん軽重の差はあるのだが、社会が決めたルールを破ったという事実に変わりはない。そして刑罰は、しょせん、見せしめである。そうやって、社会は成り立っている。

余談だが、罪を憎んで人を憎まず、というフレーズがある。これは、ルールや法の下のみせしめ社会を端的に表す、まるで潤滑油のような言葉だ。

わが子を殺された被害者には到底理解できない言葉であるし、それゆえ加害者とその家族親族に課せられる社会的制裁の強さは、人を憎まずの領域を越えている。しかし、軽微な速度違反はどうか。それが、1%の可能性だとしても、重大な事故に繋がるという認識のもとでルールとなっている一方で、捕まったほうが不運だと”赦す”社会もまた上手く機能しており、正に人を憎まずになっている。

ぎりぎりのところで、見せしめ社会が成立している。スピード違反も、そして死刑も、見せしめであるということに変わりはない。

profile_nishikawa.jpg
西川淳氏 プロフィール

自動車“趣味が強いゼ”ライター
速いクルマ、速そうなクルマが好きな、単なる市井のクルマ好き代表
環境に優しい最新モデルの性能より、味わい深いクラシックカーの行く末が気になる毎日…
愛車はほとんどマイナス5ツ星

KEYWORD
関連エントリー
  • prev
  • next