西川淳「制限速度 その3」



西川淳
要するに何をいいたいかと言えば、速度制限を上げようが下げようが、それほど事態に変化はないんじゃないの?だ。
特に、日本の高速道路においてはその必要性をあまり感じない。交通効率の観点からも、経済的な観点からも、精神衛生上の観点からも、道路建設の観点からも、また社会的成熟度という最大の問題点からも、速度を上げることは危険である。夜間割引を車線上で待つ輸送トラックの群れを見るたびに、高速道路の意味が分からなくなる。
例えば、高速道路をもう一度国有化し、国の財産としてネットワークを張り巡らせ、通行料を無料にし(道路で設ける必要などこれっぽっちもないはずなのだ!)、路面環境を整え、安価に提供される各種最新テクノロジーを装備したクルマが、真っ当な目的合理性(ガソリンを安く買うために渋滞を引き起こすという愚は避けなきゃ!)をもって、プライベートな移動手段であるというメリットを決して阻害されることなく、ある目的地まで(免許をもつ)誰もが安全に快適に理性的に移動できる、というのであれば、そこから可能な限り速度を上げてもいいと思う。
人が個々にもっているはずの社会性よりも個人性が勝っている今、それを自動車にまつわるテクノロジーだけでカバーし、制限速度を上げるという考え方には、賛成しえない。少なくとも、社会教育のレベルから積み重ねていかねばならないし、インフラのリニュウアルも必須だ。現状の交通社会にとっては、たとえ百利あろうとも、人の生き死に関わる一害の可能性が高まる行為は、慎しまなければならないと思う。
とまあ、前置きがかなり長くなってしまったが、なぜこんなことを思ったかと言うと、ここ数年、個人的には高速道路が走りやすくなったと思っているからだ。
私は可能な限り、クルマで移動する。800キロまで、つまり東京を起点にすれば、北は青森、南は広島あたりまで、クルマでいく。ほんの数年前までは、たとえば実家のある奈良まで”5時間で行けた”とか、そうゆう馬鹿なことをしでかしていた。追い越し車線をとろとろ走るトラックにはいつも激怒していたし、下品なミニバンのあおりには真っ向から勝負してあげたし、自然渋滞を引き起こす区間に至っては設計者の不明をののしったりもした。
わがままである。例え、マナー違反や設計ミスが相手だったとしても、戒めは自らにも適用すべきであることは、自明だ。
とはいうものの、それから自分自身が改心したわけではない。相変わらず速く走りたいし、追い越し車線のウスノロには罵声を浴びせたいし、ETCゲートを優先ゲートと勘違いし”俺はこんなに速くぬけられるぞ”を誇示してノーズを割り込ませる大バカ野郎には天罰が下りますようにと祈る。
それはそうなんだけれど、概して、その頻度は、速く走りたいという欲求も含め、かなり少なくなった。高速道路は走りやすくなったと、私は実感している。

西川淳氏 プロフィール
自動車“趣味が強いゼ”ライター
速いクルマ、速そうなクルマが好きな、単なる市井のクルマ好き代表
環境に優しい最新モデルの性能より、味わい深いクラシックカーの行く末が気になる毎日…
愛車はほとんどマイナス5ツ星






